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2015年10月29日 (木)

10/28の歴史秘話ヒストリアはすごいぞ!国宝・松江城、でした。

「松江城」の画像検索結果
島根県松江市の水路からスタート。船から見る松江は非常に綺麗だ。
で今回は松江城について。
今年、新たに国宝となった松江城。でも何がすごい?
信長の時代から続く由緒あるお城なのだ。正統派天守を持つ。
またユニークな工夫がいっぱい。
日本で唯一のもの、驚きの仕掛けなどを紹介。つぎはぎだらけの柱はなぜ?
そこに国宝指定の意外な決め手があった。
でも呪われているといわれたことも。怨霊から救った方法とは?
などなど、、、ここまでがイントロ。
まずは国宝の秘密。
松江城の本丸を目指す。門から向こうに天守が見えてきた。どんな天守?
松江城の形はかなり独特。
一般的なお城の天守は下から上に向かって屋根が何層も重なっている。
松江城は下半分に大屋根の建物があり、その上に櫓が乗っている。
望楼型と呼ばれる。古くからあるもの。
安土城からその形式で、、、、今残っているのは松江城のみ。
その前に小さな建物が。付櫓だ。
なぜこんな構造?
付櫓に入ると、すぐに石垣。壁だ。
敵があっと思う。横が死角になっていて、そこに兵を置くと不意打ちができる。4か所も用意されてる。なるほどー。
もう一つ、敵が前へ前へと進もうとすると、後ろからも攻撃できる作りだ。
さらに、天守の壁にはたくさんの穴は狭間と呼ばれ、鉄砲や弓矢で攻撃するもの。
ところが、狭間は城の角には作れない。なので死角ができる。
付け櫓からの狭間攻撃があると死角がなくなる。
戦国武将 堀尾吉晴が作った。実戦向きの戦う城なのだ。
さらに天守の1階に上がると、かなり広い。120坪。400m^2もあって姫路城に次ぐもの。
少しずつしか登れないように階段は狭くて急。2階も同じ広さ。
敵が一人ずつ上がって来たら、大勢の敵が迎え撃つ。これもなるほどー。
3階に上ってきた。
階段が珍しい。何が?素材。
昭和30年の調査報告書では、階段は桐材製となっている。
なんでこんな高級な木を?
いざというときには階段を引き上げる。桐の軽い階段ならば上げ下げも素早くできる。
さらに、天守の地下にやってきた。
樽が置いてあるように見える。でもこれは井戸。直径は2m弱。
姫路城や熊本城も井戸は城の敷地にある。
でも天守の中に井戸があるのは松江城だけ。
堀尾吉晴はなぜここに作った?
鳥取城を責める戦いに参加した堀尾。秀吉とともに。兵糧攻めをした。
そこには飢えた人々が、、、その悲惨な光景を見た堀尾は
そこで食料や水を十分確保することを考えた。
で雪隠(トイレ)も工夫を。
用を足しながら攻撃ができるよう穴が。。。
次は柱。
松江城が国宝に指定された理由となったのが柱なのだ。
継ぎはぎだらけで補強しているような、、、
柱には板をかぶせ、その上から鉄製の帯が。包板と呼ばれる。
補強しないと使えないような木材を使った理由は何?
慶長年間は城の築城ラッシュだった。
全国で城が作られ、大きな木材は奪い合いになった。
豊臣秀吉は全国から木を集めたが、、、それは秀吉だからできたこと。
近くの大きな木を切っても全然足りない。
十九社神社でも木材を手に入れている。神木だ。。。ご神木まで切ってしまった。
神社のお祭りがなくなってしまった。
でも足りない。。。
吉晴はさらに、、、
城の床下に使っている木材は、うっすらと文字が。富という字が。
月山富田城の富じゃないかと言われている。もともと堀尾がいたところ。
つまり、、、リサイクルしていた。
いかだにくんで運搬するために穴が開いている。
そしてこうした努力が国宝級の技を生み出した。
上から下まで通し柱があるところと、上にしかないところがある。
例えば姫路城は、24mもの大黒柱が2本、支えている。
松江ではそんな贅沢はできない。。。
そこで2階分を貫く柱を作り。床を作ったところでそこからまた2階分の柱を作って床を、繰り返す
という方法をとった。
そして天守閣に上がる。
宍道湖が見える。
でまた外に出て、城下に目を移す。
和菓子屋さんがたくさんある。
風流なお菓子がたくさん。沖の月というお菓子。
イメージ
菜種の里。
などなど。
「菜種の里」の画像検索結果
すべてとある松江のお殿様がお茶会用に作った。
松平不昧だ。
茶人としても知られていた。
その影響からか庶民も抹茶を楽しんでいる。
いづもナンキンという天然記念物の金魚も有名だ。
「いづもナンキン」の画像検索結果
不昧はこれを月明りの下で眺めるのがすきだったとか。
そしておそば。
割子そばだ。
重ねられる容器に入っている。
「割子そば」の画像検索結果
ではお城に戻る。
怨霊との闘いについて、、、
慶長13年4月。
石垣づくりに励んでいると、
石垣が崩れてきた!もう一度積んでも、、、崩れた!
石垣のそばを掘ると、、、どくろが埋まっていた。吉晴には思い当たるところが、、、
そこにご神木があった。じゃまだから切ってしまった。
その神木はドクロをまつったものだったのだ。
解決には人柱しかない、、、と思い城下の若者を集めて盆踊り大会を開いた。
小鶴という踊り上手な娘がいた。それを人柱として石垣の下に埋めた(ひどい!)。
その後、石垣は崩れなくなったが、、、
あくる年の盆踊りのとき、それに合わせて石垣が大きく揺れ始めた。
小鶴のたたりだ!
と不安げにみんなが噂しあった。
そこで手立てとして、松江の町にお触れを出した。
あるものを禁止するというもの。
それは、、、盆踊り(なんて対処療法だ!)
吉晴は盆踊りを禁じた。松江城下では今も行われない。
3年たった慶長16年、松江城は完成した。ところが、
まだたたりが続き、半年もたたないうちに吉晴が、
次の忠晴も、、さらに
京極忠高も、、、
みんな死んだ。
そして新しい殿様として松平直政がやってきた。
戦でも真っ先に敵に向かうやんちゃな。
天守最上階に初めて登ったら、そこに突然白装束の女が現れ睨みつけた。
この城は わらわが城なり
と叫んだ。
で答えたのは、
この城をつかわす
といった。するとすーと女が消えた。
城をやると言ってしまった!怨霊に城をやるとは、と大問題に。
そこに献上品が次々届いた。
その中にあったのは、コノシロという魚(シンコとか名前が変わる出世魚)。
はは、この城じゃなくてコノシロをやると言ったと。
天守にコノシロを備えると、櫓に三方が落ちていて、コノシロがなくなっていた。
約束を守った、、、
で櫓はコノシロ櫓と呼ばれるようになった。
そして明治新政府が
廃城させようとした。明治8年、売りに出された。櫓が4円くらいで売られ、どんどん取り壊されていった。
天守も180円。(現在の価値で120万円ほど)
これを知って地元の人々が募金を始めた。
その意気にこたえて払い下げは中止になった。そして松江市が管理することになった。
そして存亡の危機から140年。今年ついに国宝になった。
今まで国宝指定されなかったのは、城がいつ作られたかわかる資料がなかった。
しかし市内の神社で木札が発見された。祈祷札だ。
慶長16年と示されていた。
上下に空いた小さな釘穴がある。天守にその穴とぴったりあうところが見つかった。ここに打ち付けられていたのだ。
これにより年代がわかり、国宝指定された。

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