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2015年11月13日 (金)

11/12のビーバップハイヒールは”65周年SP 名曲はデビュー前に生まれる!~あの出来事があの歌を生んだ~”でした。

朝日放送(ABC)が設立65周年、ということで、 ビーバップハイヒールも20分延長スペシャル。富澤一誠(音楽評論家)さんがゲストブレーン。

まずは荒井由実の卒業写真。歌詞のあの人とは、、、

デビュー前、1971年。当時高校三年生の由美が学校を終えると向かう場所、それは美術の教室。東京芸術大学を目指していた。

絵を教えてもらっていたのは当時20台の女性教師。非常に指導は厳しく、喧嘩ばかり。

でも画家の自叙伝など渡してくれたり、一生懸命な気持ちが伝わってきた。

そして受験、結果は不合格だった。泣く由美に来年も受ければいいじゃない、と慰める先生。しかし浪人は許されず、別の美大に通った。

先生を見ても気まずいので隠れてしまうように、、、その後音楽に力を入れてデビュー。

実は先生への感謝をつづった歌とも言われている。

次は、山崎まさよしさんの、One more time ,One more chance.

ここで歌われている”君”の正体は?
山口県で生まれた山崎まさよしは歌手になりたいが、コネもなく、ただただギターを弾き働く。ある日、新人オーディションが行われることを知る。
書類選考を通過し、ギターをもって東京へ。
でも誰も楽器を持っていない。着飾った男前ばかり。山崎は浮いていた。
面接で、このセリフ言ってみて?とか言われる。
キティ・レコードのオーディションだから歌手のオーディションと思っていたが、実は関連会社の映画の俳優オーディションだった。
だけどせっかくだから歌っていくか、と言われて歌う。
審査員たちは心を惹かれる。なんとアンコールまで。
でもこれは俳優のオーディション、、、なんで落ちる。
また山口に戻ってきた。振り出しに戻る。。。
ある日、電話がかかってきた。穂苅太郎さんというキティ・レコードの人。オーディションの審査員だった。東京へ来ないか?と言われる。
そこで山崎は上京。桜木町に住んだ。ライブ、アルバイト、作曲活動、、、
穂苅は山崎の才能を社内に宣伝して回った。
ところが、、、
キティレコードの経営が悪化。山崎のデビューも白紙に。
桜木町を歩く山崎、、、一体これからどうなってしまうのか、、、
TRFなどが全盛の時代。自分の音楽が受け入れられるのか、、、
数日後、穂苅は会社を辞めてきたといってきた。
他のレコード会社に山崎を売り込む、と。俺がお前の音楽を必ず世に送り出す、と。
歌を作る山崎、売り込む穂苅。。。2年の月日が流れた。
デビューが決まった!
1995年、春。ようやくレコード会社と契約。月明りに照らされて、でデビュー。でも売れない、、、3枚目のセロリでようやく売れ出した。
ここで、穂苅はあの曲をリリースしようと言ってきた。勝負曲だ。
それがOne more time, One more chance。
デビューするために上京したのに、デビューが決まらない悶々とした気持ちをうたった曲だとのちに山崎は答えている。
君は自分自身のことだった。
次は中島みゆきの時代。
昭和43年、北海道帯広。高校生だったみゆき。実家は産婦人科医。でも家計は苦しかった。弱く貧しい患者を診ていたから。
自習に勉強しない級友を怒ったり、まじめすぎると言われたみゆき。
正論をはき、孤立していった。
そして誰ともしゃべらなくなった。
孤独な毎日。自分がいないほうがいいんじゃないか、と思うまでに。自分が必要かどうか確かめたい、、、そこで、、、
高校三年生の時に、文化祭でギターを手に歌う。
オリジナルソングを披露した。すると大拍手。誰も席を立たなかった。
そこで自信を得た。札幌の女子大に進学し、高校時代が嘘のように明るく饒舌になっていた。
でも家に帰ると、、、あれは本当の私なのか、、、と自己嫌悪。
明るい自分と暗い自分。。。
そこで歌を歌うことでバランスを保っていた。音楽にのめりこんだみゆきは数々のコンテストに出場、コンテスト荒らしと呼ばれていた。
さらにポプコンでも優勝。メジャーデビューが決まる、と思われた。
しかし、東京にはいかなかった。歌一本で勝負する自信がなかった。
歌は自分を保つ手段に過ぎなかった。
そんなある日、父が脳溢血で倒れる。
プロとして歌を歌おうと決めた。
もう一度ポプコンに出る。その曲こそが時代。グランプリを獲得した。
お父さんの応援歌でもあるが、プロの歌手として生きることを決めた自分への応援歌ともいわれている。
次は、、、喜納昌吉さんの花。
 
様々な人がカバーしている花。売り上げは3000万枚以上と言われている。
ある歴史的な出来事から生まれた。
終戦から3年の沖縄。アメリカの統治下にあった。
沖縄戦で自然も町も焼き尽くされた。
12万人もの死者・行方不明者が。。。
1964年、高校一年の喜納。東京オリンピックが開幕した。
閉会式のテレビ放映を見ているとザンビア共和国が出ていた。
閉会式10時間前に生まれた国だ。
開会式はイギリス領北ローデシアとして参加していた。長年のイギリスの植民地支配から、独立したのだ。国旗も真新しくなった。
各国の選手も国旗をもって祝福した。
この熱気を喜納は目に刻んだ。それを実況したアナウンサーの言葉、、泣いています、笑っています、というのが印象に残った。
1972年に沖縄返還。
平和への想いを歌にする。
実は東京オリンピックから閉会式では各国入り混じるようになったとのこと。
後半はウエディングソングベスト10.
10 お嫁サンバ 郷ひろみ と ハッピーサマーウエディング モーニング娘。が同率
9 バンザイ ウルフルズ
8 愛をこめて花束を superfly
7 永遠にともに     コブクロ
6 家族になろうよ 福山雅治
5 One Love    嵐
4 Can you cereblate? 安室奈美恵
3 てんとう虫のサンバ チェリッシュ
2 Butterfly 木村カエラ
1 乾杯 長渕剛
でした。

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