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2015年12月 9日 (水)

12/9の歴史秘話ヒストリアは、”転職忍者ハットリ君の冒険~家康の“頼れる家臣”服部半蔵~”でした。

服部半蔵といえば?忍び?忍者?
半蔵は実在の人物ですが、忍者ではありません。。。では何者?
没後400年の徳川家康に仕え、絶大な信頼を得ていた槍の名手、怪力、人呼んで鬼半蔵。
しかし彼を打ちのめす事件が、、、
そして本能寺の変での伊賀越えでどんな奇策が?
そして忍者のイメージがついたのはなぜか?
とここまでがイントロ。
戦国乱世。
武士は戦で手柄を立てることが出世につながった時代。
三河(今の岡崎)で服部半蔵正成は生まれた。力の強さは尋常ではなかった。
松平家につかえる足軽だった父。父は伊賀の里出身。
伊賀のものは武将にやとわれてスパイのような役割をすることが多かったが、、、
頼まれた時だけ忍者をして、ふだんは農作業や商売をしていた。
忍者はいわば契約社員。
生活苦で三河に移って、契約社員から下っ端でも正社員の足軽になった。固定給をもらえるようになった。
日々槍の稽古に励んだ半蔵は、父と同じ松平家の足軽に。その際の松平はのちの家康。
今川家と家康は対立する。嫡男が人質になっており、戦で救い出そうとした。
半蔵は槍一本で敵を切って回った!
圧倒的勝利だ。信康を取り戻した。
半蔵はうわさを聞いた家康に呼ばれた。足軽にはきわめて異例のこと。
眼光の鋭き事ただものではない、というおほめの言葉をもらう。
さらに次の戦では一番槍に。どんどん出世していく。
東京の西念寺に当時のゆかりのものが残っている。
徳川家康から拝領した槍。服部半蔵がもらい受けた。
4.5mの長さ、重さ10kg。通常は3mなので特大だ。
半蔵に合わせて特注で作らせた。
そして信康の剣の稽古を見るまでに出世。
半蔵は戦うことの新たな意味を見出す。忠節だ。徳川のために戦う。
半蔵の勢いは止まらない、、、敵は恐れおののく。
鬼半蔵とまで呼ばれる。
そしてついに百五十人の部下を与えられる。しかも伊賀の忍びたち。
半蔵に忍びをまとめる役目を与えた。
忍びの仕事は父が望んでいなかったこと、でも家康の力になれるならと承諾。
忍者集団を率い、新たな仕事を始める。
 
萬千集海という本が伊賀に残っている。そこにいろんな忍びの技が乗っている。
鉤縄。木に引っ掛けて登る。
変装。いろんな職業にばける。
正体がばれたら?持ち物に細工をしている。編み笠にはうらに矢が隠されているとか。
クールで無口な人が多い?とんでもない。人から情報を聞き出したりうその情報を流すので、一番向いているのは人との交流がうまい、社交的な人。
天正7年8月。
信康が謀反という知らせが届く。妻と信康が敵の武田家と通じているという。
信長は大激怒。裏切者は切れ!と。。。
妻と信康の厳しい処分を迫る。
半蔵にとっては長年そばにつかえてきたかけがえのない存在の信康。
身の潔白を信じるが、、、
当時、武田家も戦国最強の忍者集団を抱えてきた。
すっぱ、という。
すっぱぬくの語源!
家中を混乱させることが得意だった。すっぱがあらぬ噂を流しているのではないか?
と配下の伊賀者に情報を集めさせた。
 
そして調べた結果では、信康の潔白どころか一層不利な情報しか集まらなかった。
家康はついに決断した。
まず妻を家臣に命じて処分。
そして信康にも切腹が命じられ、、、介錯を命じられたのは半蔵。
馴染みなれば介錯頼む、、、と。
半蔵は、介錯できなかった。涙にむせび、、、別の家臣が介錯した。享年21歳。
半蔵は遺髪を切り取った。
守るべき人を守れなかった。
この事件をきっかけに一層家康に信頼されるようになる。
そんな折、あの大事件が起きる。
天正10年。
本能寺の変だ。明智が謀反。
半蔵たちにも大きな問題が。光秀は次に狙うのは家康だ。
今いるのは30名ほど。もちろん戦の準備もしていない。
三河に一刻も早く帰る手立てを考えなければ、、、
伊賀の国を通るルートがはやいが、別の危険が。
山賊の住処だったのだ。
加太峠が最も危険。家康を討てば恩賞ともいわれている。
半蔵はまず最初に味方を集めた。
狼煙をあげたのだ。
御斎峠で揚げたと伝わっている。狼煙があったら徳永寺に集まると。
伊賀の忍びたちと合流し、万全の態勢でピンチを切り抜けようとした。
ただ本当に集まってくれるのか?
気になっていることがあった。天正伊賀の乱だ。
信長が4万の兵で攻め込み、老若男女構わず切り殺した。
信長を恨んでいた。家康も信長と同盟を結んでいるので同類だと思われているかも、、、
でも一縷の望みはある。三河に逃げてきた伊賀の人々を保護していた。
 
 
不安と期待を抱えて伊賀の国に足を運ぶ。
ある奇策を講じた。
滋賀の浄顕寺に移された
いくつもの石造。十王石仏。9体しかない。
実は徳川家康の身代わりだと言われていた。
石仏の一体を拝借、かごに乗せて運んだ。
で二手に分かれたが、、、
しかし山賊が現れた。
半蔵は身を挺して戦った。
山道をさらに奥へ、、、加太峠の手前まで、、、
徳永寺に入っていくと、、、
伊賀のものがいる。
敵か、味方か?
恩に報いる、と言ってくれた。味方だ。
なんと二百人の伊賀者が集まった。
 
最後の難関、加太峠に向かう。
連絡を取り合って山賊の襲撃に備える。
 
そして何とか通り抜けることができた!
伊勢に到着し、そこから三河へ。
最後は、服部半蔵の足跡について。
家康は関東に移り江戸城へ。
半蔵は江戸城に西門に屋敷を。それが半蔵門と呼ばれるようになった。
警備は伊賀の人々。伊賀越えに協力した忍びを召し抱えた。
忍びの末裔の服部さんが、文書を見せてくれた。のろしのおとぎ峠のことが書いてある。
服部さんの先祖は和菓子職人として暮らしていた。
 
隠れ蓑としてその仕事をしていたのだ。
いつの間にか和菓子が本業に。
西念寺は服部の菩提寺だ。
あるものが残っている。
徳川信康の供養塔。中には遺髪が収められている。
半蔵は享年55歳で亡くなった。
いつしか日本一の忍者として語り継がれていった。

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