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2016年5月 2日 (月)

しくじり先生にでんじろう先生が登場。学校嫌いだった過去を語る。3浪して、大学院卒業後奥さんに養われる、、、

学校嫌いで何かと理由をつけて休んでいた。実験以外のこともやらされるから、、、
放課後残るとか集団行動とか意味がわからない、と。青春とかウザったかったと語る。ブラックでんじろうだ。
が、岡本夏美ちゃんにそんなことはおかしい、一生懸命やるのがいいんだ!と説教されるでんじろう先生(笑)。
で先生になったものの、、、実験ばかりしていた。すると生徒や父兄からクレームがいっぱい来た、実験のせいで授業が遅れている、受験に関係ない、と。
教師になったのは間違いだった、と教頭に言われた。
11年間教師を続けたが学校をやめた。
学校嫌いなのに教師になって生徒に迷惑をかけた先生。
---
では、どういう過程で先生になった?
理科に興味を持ったのは、小学生のとき。鉄腕アトムや鉄人28号にはまった。通知表は理科は4か5、他の教科は1とか2だった。音楽がいちばんわからない。授業でお客さんになる、という意味がわかった。
完全に授業がわからなくなって、テストでは100点満点で10点か20点。
自分で壁を作るともうそこから入ってこない。
極度の人見知りで集団行動が大嫌い。友達も少ない。
中学3年生になると、家からでんじろう、に。
学校やすみがちになった。親がいないときに休んでいた。共稼ぎだったので。
自分の学力で行ける高校に進学した。
一人でやっていたことは?
一人縄文人ごっこ。縄文土器を作っていた。
粘土を山に取りに行って、崖の地層を見て、、、とか。
石斧も作っていた。
縦に木を繊維を切って、とか実験していた。
ここからもの作りが楽しいと思いかけた。
大学に進学しようと思ったが、社会に出て責任を取る大人になりたくない、という理由(笑)。
大学の4年間は社会に出なくていい猶予期間。
社会にでんじろう、だ。
受験したが、、、全部落ちてしまった!
浪人生活が始まる。家で浪人すればいいか、と思い、、、、勉強のやり方もわからず、
3浪!
これは知らなかった。
勉強しなければ、とは思うが机に向かうと集中できない。
浪人時代はカヌーも作っていた。
舞の海にもっと勉強に打ち込んでいれば、と説教される(舞の海さんは高校教員免許持ってるんですね)。
4回目でようやく受かった。そのとき21歳。
1つのしくじりがあった。
教育学部に合格。学校嫌いなのに、、、
理工学部系を目指していたがどこでもいいから入れるところを、ということで。
東京学芸大学だった。みんな先生になるような学部。
卒業単位を取ると当時は教員免許が取れた。
それで教員免許をとってしまいました、って(笑)。
教員採用試験に合格しないと先生にはなれない、ので試験を受けた。流れで、、、
一発合格。
試験に合格するということは認められるということでうれしかった。
面接を受けたら教員になってしまうが、、、
現実逃避でどうしようかと思ったが、、、
落ちた友達が大学院に行くけど一緒に行こうよ、と言われた。
それで大学院に行く。
理科も落ちこぼれたので少しは勉強しようとは思っていた。
大学院で、他の大学から女性が入ってきて、付き合って大学院を卒業するときに結婚。
就職すると思いきや、、、
研究生として大学に残った。
授業料を払って学生身分を保証してもらう制度だ。給料はでない。
生活は?
奥さんが就職したので、、、
ひもじろう!
でもさすがに、、、ということで
非常勤講師として学校に勤務した。
 
自由学園に週に数日勤務した。教科書もないような自由な校風。
人見知りだし、授業もやったことがないので、実験をやり始めた。
 
ここで生徒ともうまくいき出し、いい先生になりたい、と思いかけた。
採用試験をここで受けなおして社会に出た。
第一章のまとめは、逃げないで、社会に出てくださいエンス。
しかし本当のしくじりはここから。
赴任した学校がヤンキー生徒だらけ。
教壇に立った瞬間、生徒たちから完全になめられた。
授業中に生徒を集めて、静電気ビリビリ実験をした。
盛り上げる実験をやろうと手をつながせて、ビリビリとやった。
大喝采。盛り上がった。
これは行けるといろんな実験を毎時間持って行った。
生徒たちの目が輝いた実験ベスト3.
第三位:酸化銅爆発実験
     酸化銅とアルミニウムを混ぜて発熱させると激しい火花が散る。
     爆発した!びっくりした。
     中庭でやったら予想以上の大爆発に。ヤンキーがお祭り騒ぎ。
     3階くらいまで火花が上がった。
第二位:熱気球実験
     ビニールシートをテープでつないで大きな袋を作って、袋の中の空気を
     温める。しかし生徒も一緒に浮いちゃった。ネットでひっかかったので
     なんとかなった。
第一位:溶けた鉛に指を入れる実験。そのまま入れると黒焦げ。
     指がぬれていたり、着火剤、アルコールがあれば大丈夫。
     ライデンフロスト現象。
しかし赴任8年目に、進学校に転任した。
雰囲気が全然変わって超真面目。
実験しても死ぬほどすべった。
学校が変わると求められているものが変わった。
ここで、空気砲も考えた。
 
しかし、生徒からそんなことやって授業が遅れていいんですか、と言われた。
先生たちからもバッシング。
自分が楽しむことに夢中になっていた。ひとりよがりだった。
しくじり集。
授業の出欠をとらない。
ノートを集めても見ない。
選択問題を②で作ってしまう。
口から火を吹き炎上事件もあった。
教室で可燃性の液体を口に含み、松明に向かって吹いた。
学年集会で火を吹く道具を持って行き、話す前に吹いたら、顔が燃えた。
緊張しちゃった。生徒には何が起きるかわからないから注意しろよ、と言った(説得力ゼロ)。
そして教頭に呼び出されて説教。学校で完全に浮いた。
もう教師ムリ、と思った。
そして辞め、固定収入が0。
次の仕事を一切考えずに仕事を辞めた。
そこにひとつの仕事が舞い込んだ。
NHKの実験番組でお手伝い。NHKの通信高校講座とかで都立高校の先生が出ることがおおく、NHKのディレクターが面接に来た。企画の手伝いをしていた。
そして実験教室や講演。10年間続けた。
そこで実験以外のことも考えるようになった。
お金!
フリーになって仕事を頼まれるときにいくらか?と聞かれるので初めて意識した。
銭じろう!
責任をもって仕事をするからこそお金がもらえる、という考えだ。
大人としての責任感が生まれた。
1回目に講演で好評だとしても、2回目で工夫したら去年の方がよかったと言われた。
どんどん変えていかないとと思った。
49歳のときに、情熱大陸からオファーが来た。
この後、いろんな民放からオファーが来るようになった。
好きなことだけやっていてはだめ、と気づいた。サイエンスプロデューサーとしてスタートした。
最後の教訓は、
必要としてくれる人がいて、初めて仕事になる。
今まで20年間、仕事に穴を開けたことがない。強烈な責任感が生まれた。高熱でもやる。
誰かがみてくれているので手抜きをしない。
やりたくないことも経験した人が
やりたいことで成功できる。
という最後の言葉でした。
好き、と、好き勝手、は違う。
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でうすーいおさるの話があった後、、、(これいらないなあ、、、)
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オリラジあっちゃんのマルクスと共産主義、ソ連の話。
バラエティ向けにうまくまとめてると思いますよ。話うまいなー!
まあそうじゃない!とTwitterで言ってる人がいますが、このくらい話がうまくないと伝わらないですよ。どうです?話せます?

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