パンサー尾形さん登場。今日のテーマは、1+1=2。
はい?そんな当たり前のことを?難問でもなんでもないじゃないですか!なんとか予想とか、ホニャララの最終定理とか、超難問ばっかりあつかってきたのに、ついにネタが切れたのか?
そうじゃないんですよ。1+1=2が、正しい理由を自信をもって説明できますか?先生から小学校で教わって丸暗記しているだけでは?
本当に1+1=2ってどうして言えるんですか?非ユークリッド幾何学の回で、超当たり前だ、これしかない、ということがあてにならないことを説明しましたよね?三角形の内角の和が180°であることさえあやしくなった。
そんな時、1+1=2をちゃんと証明しなければだめだ!と数学者は思い出した。
数とはなにか、足し算とはなにか?
基礎から数学を築かなければならない状況になった。
「数」とは何か?丁寧に大まじめに考えた人の話からしましょう。19世紀のイタリアの数学者、ジュゼッペ・ペアノです。
1や2とは何なのか、そもそも数とはは何なのか?何を手掛かりにする?
ペアノはこう考えた。誰もが納得できる単純な事柄を出発点にしよう。そして世界中の数学者の前に、こんな対話を進めていった。
「数」という集まりが存在する、について納得する?→OK。
「0」は数であるというのは?→違和感はない。
ここでペアノの論文「数の概念について」(本になってるな)が映る。
ペアノが出発点にしたこと。それはまず
「数」という集まりが存在する。
そして「0」は数である
という事柄だった。出発点としてはふさわしいと思える。
では「0」以外の数は?
「a」が数なら「aの次」も数の1つである。これは?→いきなりややこしい。まあ数にはそれに続く数があるのはおかしくない。
ということは?「0」が数といっていたから0の次は数に。0の次の次も数。数の集まりはこれが続いている。
でも見にくいな。「0の次」に1って名前を付けない?
じゃあ「0の次の次」に2という名前を付けて・・・次々3,4,5ができていく。
「数」という集まりが存在する。
「0」は数である。
「a」が数なら「aの次」も数である。
こんな感じで誰もが納得する事柄から数とは何かの基礎固めをしていった。
参考:ペアノの公理
パンサー尾形さん再登場。
数とは何かをはっきりさせたいだけなのに、数学者は話をややこしくしているのでは?1は(指をだして)この1で、2は(2本だして)この2でいいんですよね?と思いますよね?
1+1=2
のようなことをきっちり証明するには一歩一歩進んでいかなければいけないんです。
今度は足し算。
足し算とは何なのか?数学者たちは一歩一歩進めていった。1つめ、
aとbが数のとき、a+bも数である。→これは問題なさそう。
a+0=a→0を足しても変わらないってことか、しっくりくる。
a+bの次 = (a+b)の次 は?
ややこしいが数直線を書いてみたら納得できる。
足し算とは以上!
パンサー尾形さんはわかったようなわからないような、だが数とは何か、足し算とは何かはっきりしたようだから、これで
1+1=2
が証明できるはずです。さて、1+1=2の真実、あなたは今、初めて目撃する!
1+1=0の次 + 0の次
a+bの次 = (a+b)の次を思い出す。aに0の次、bの0を当てはめてみると?
0の次 + 0の次 = (0の次 + 0)の次
になります。つまり
1 + 1 = 0の次 + 0の次 = (0の次 + 0)の次
さらにここでa+0=0を使おう。aに0の次を当てはめると0の次 + 0 = 0の次になる。
1 + 1 = 0の次 + 0の次 = (0の次 )の次
(0の次)の次は何だった?2ですよね。1+1=2が証明できた。
パンサー尾形さん、やりましたー!証明できたー!ぜひ周りの人に教えてあげてください。
さあ、こうなると同じやり方でどんな足し算だって正しさを証明できるはず。
2+3=5をパンサー尾形さんが証明する。
2+3 = (0の次 )の次 +((0の次 )の次)+次) 皆一緒にやろう! 全員総出でホワイトボードに書きまくる。15分経過し、、、休んでいた尾形さんが最後の行だけ書く(笑)
2+3
= (0の次 )の次+((0の次 )の次)の次
=((0の次 )の次 + (0の次 )の次)の次
=(((0の次 )の次+0の次 )の次)の次
=((((0の次 )の次 +0)の次)の次)の次
=((((0の次 )の次)の次)の次)の次
=5
できた!今まで丸暗記してきたあなた!大いに反省してください!
皆サンキューだ!
なんでこんな面倒なことをやっていたんだっけ?
19世紀後半、数学者は非ユークリッド幾何学の発見をきっかけに1+1=2ことさえ、疑念を持つようになった。
数学の基礎を固め直し、基礎から構築し直す必要があった。
そこには現場監督ともいえる偉大なリーダーがいた。ドイツの数学者、ダフィット・ヒルベルト。
数学のあらゆる分野で業績を残し、現代数学の父と呼ばれた。こう宣言した。
「私が数学の新しい基礎について研究する目的はただ一つ。数学的推論の信頼性に対する漠然とした疑念を全て振り払うことです。」
あらゆる難問を解決できる、一切矛盾がない学問体系、つまり完全で無矛盾な数学を構築しようというヒルベルト・プログラムがスタートした。
尾形さんはしかしすごい計画だなあ。完成したらどんな難問も解ける可能性がある、と語る。
しかしいきなり困難に突き当たった。ケンブリッジ大学の哲学者であり数学者のバートランド・ラッセル。
ヒルベルト・プログラムに魅了されたが1902年のある日。(バートランド・ラッセルからゴットローブ・フレーゲへの手紙が映る)
数学の基礎固めには十分注意しないと矛盾が紛れ込む恐れがあることに気付いた。
例えば次のような事柄が基礎に含まれていたとすると、問題ないと納得できる?
たとえ話にする。
ある村に1件の散髪屋があったとする。こんな貼り紙を貼っていた。自分でひげをそらない村の男性全員のひげは必ず店主がおそりします。自分でひげをそる男性のひげは店主はそりません。(床屋のパラドックスだ)
おかしくない…?
ラッセルのパラドックスという矛盾をはらんでいる。それは散髪屋の店主自身のひげは誰がそるのか?
店主が自分でひげをそらない男性なら必ず店主がそるはずだから、店主は自分でひげをそる男性になって矛盾。
店主が自分でひげをそらない男性なら、店主はそらないので店主は自分でひげをそらない男性になって矛盾。
実はこの貼り紙、店主がひげをそってもそらなくても矛盾をはらんでいる。
こんなことがあると同じところをぐるぐる回る階段のようなものがでてくる。ヒルベルト・プログラムに破局をもたらすような効果があることが明らかになってきた。
パンサー尾形さん登場。数学者って本当に変なことを考える人たちですね。だって散髪屋のひげを誰がそるのか、なんて、そんなことまで考えないと数学は完成させられない、っていうんですから。
それにしてもラッセルのパラドックス。もし数学の基礎としてそんな矛盾をはらんだものを選んでしまったら、数学という完全無欠の建物の中に、上っても上っても、、、全然上ってないじゃない。こんなんじゃ難問証明できないよ。
でも安心してください。
数学者たちは協力し合って、その後、様々な問題を回避できる方法に何とかたどり着きます。
ZFC公理系(1922、エルンスト・ツェルメロ、アドルフ・フレンケル)
しかし、その大計画に決定的な打撃が加わる。それはウィーン大学でヒルベルト・プログラムに取り組んでいたクルト・ゲーデル。
後に数学・論理学の巨人になった。
誰も想像できなかったとんでもない事実に気付いた。25歳に発表した論文。その内容は世界中の数学者を震撼させるものだった。
「”初等的な自然数論”を含むω無矛盾な公理的理論は不完全である」(第一不完全性定理)
何を言っているのかというと、どれだけ慎重に基礎を固めたとしても、決して証明できない難問が必ず存在する、という不都合な真実をゲーデルは証明してしまった。
これはつまり、ヒルベルトが目指した完全無欠な構築物として数学を完成させることが不可能だったことを意味している。
数理論理学が専門のアントニオ・モンタルバン博士(カリフォルニア大学バークレー校教授)
ゲーデルの発見は当時の数学者に大きな動揺をもたらしたと語る。
「不完全定理の発見は数学者にとって青天の霹靂でした。ゲーデルによってヒルベルト・プログラムは完全に崩壊しました。数学者には真偽が証明できないものがあると分かったのです。それは衝撃的な出来事でした。それまでの数学の常識が覆され我々の能力を超えるものがあるとわかったのですから。」
パンサー尾形さん登場。1+1=2は本当に正しいのか、から始まったが、意外な結末を迎えてしまった。なぜって、数学の基礎を固め直して完全無欠なものにするという試みは見果てぬ夢だと分かった。
じゃあ数学は結局使い物にならない?いやそれは全くの間違い。数学は私たちの生活や考え方を豊かにしてくれるものということにかわりはない。ある数学者がこんなたとえを言っている。
「もしあなたが一生のうちに、世界中のすべての観光地に行くことが不可能だと知ったとしたらあなたはがっかりするでしょうか
いや全ての観光地に行けなくても、一つ一つの観光地のすばらしさに心を打たれることには変わりはないでしょ?」って。
そう、これまで数学者たちがしてきたことの価値は全く変わらない。だから僕も最後に、
12+27+39
を証明したいと思います!(スタッフみんなやりたくない。。。)
来週は結び目理論。
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